先代の小文治

   先代の小文治は私の師匠文治の師匠、つまり私の大師匠です。
・明治26年3月28日  大阪に生まれる。
・14歳で二代目桂 文團治(後の七代目文治)に入門。桂 小米を名乗る。
・大正5年      桂 米丸で真打格になる。
・大正6年      東京寄席演芸株式会社の依頼で上京。そのままとどまる。
・大正7年5月    桂 小文治に改名し真打披露。睦(むつみ)会に移り、八代目文楽、 三代目柳好、六代目柳橋と並んで睦の四天王と言われる。
・昭和8年      柳橋、金語楼の日本芸術協会に入会し、後に副会長に就任。
・昭和36年     「紙屑屋」で芸術祭奨励賞受賞。

明るく派手な芸で、小柄な身体になんとも言えない色気を漂わせた「寄席の踊り」を踊り多くのファンを魅了したそうです。門下に五代目古今亭 今輔、二代目桂 枝太郎、
四代目三遊亭 圓馬、四代目三遊亭 円遊、二代目桂 小南、十代目桂 文治、また
タレントで活躍の桂 小金治を擁する大所帯でした。
大変せっかちで口やかましいけど、涙もろく面倒見のいい親分肌な人だったようです。私の師匠文治も随分小言を言われたようです。
昭和42年11月28日に他界しました。享年74歳。
             法名は生前から用意していた「芸能院桂小文治居士」