1

 文治の楽屋
 平成16年1月31日 午後5時17分、私の師匠「十代目桂 文治」が他界しました。落語芸術協会の会長を二期務め、1月31日をもって勇退し、最高顧問になる予定だったのです。さずがの師匠も病気(急性骨髄性白血病)にはかなわなかったのです。

 1月14日が師匠の80歳の誕生日、色々都合があって翌15日に私の義姉夫婦が経営してる「幸味亭」と言うしゃぶしゃぶ・焼肉屋で一門による誕生会をやることになりました。師匠は息子の秀実さんとまだ弟子が揃う前に到着、かなりごきげんです。そのうち弟子も集まり乾杯、皆ワイワイガヤガヤ。師匠の鼻の頭が妙に赤かったのですが「お酒のせいだろう」と誰も気に留めませんでした。ただ、いつもなら機嫌がいいと長っ尻の師匠が「さあ、もうそろそろお開きにしようか」と自分から帰ろうとしたのには、「珍しいね、師匠疲れてんじゃないんですかねえ〜」なんて蝠丸兄さんと話してたんですよ。

 16日は三件の掛け持ちだったそうです。浅草演芸ホールでは随分疲れた様子で、普段なら「楽屋で横になるなんてとんでもない」と小言を言う師匠がため息とともに横になってしまったようで。最後がイイノホールでの「東京落語会」。テレビの収録があり、ネタは「長短」高座を気丈にも務めたが、収録が終って楽屋に戻ったら横になって動けなくなったそうです。前座の京子さんが「師匠!何かお飲み物をお持ちしますが、お水になさいますか?それともお茶になさいますか?」と聞いたら師匠が「京子ちゃんのおっぱいが飲みたい」・・・ここでこんな事を。お客さんがタクシーに乗せてくれてなんとか帰宅できました。

 17日早朝、秀実さんから電話があって「あのね、お父さん熱がずっと38度越してフラフラしてんのにどうしても郡山へ行くってんだよ。インフルエンザらしいんだ。小文治さんから止める様に言ってちょうだいよ」その後師匠が電話に出て「もしもし、俺は大丈夫だから、いやいやいいんだよ、このぐらいどうって事ないよ」「でも師匠、無理して肺炎にでもなったら大変ですよ」「いやいや、いいの、大丈夫」。何を言っても無駄でした。私には師匠の気持ちが良くわかるんです。仕事をいきなり休むとどれだけ回りの方に迷惑をかけるか。まして師匠のような昔堅気の方にとって許されない事。結局師匠は郡山へ出かけましたが、前助、右團治が一緒と聞き少しほっとしました。なにかあったらすぐに連絡が入る事になっています。師匠は「親子酒」を演り、お客様大喜びだったそうです。落語会が終わって、病気の為芸術協会を引退して郡山に住んでる、俗曲の檜山さくら師匠に会いに行ったそうで、帰りに「ああ〜、これでよかったよ。ああ、良かった〜」と言ってたそうです。これは虫の知らせだったのか?師匠は帰京して間もなく入院する事に。

 私の駅までの通り道に師匠宅があります。このところ師匠の家の窓はカーテン閉めっぱなしです。寄席も休んでるし、体調はどうなのか心配で秀実さんに電話してみました。「インフルエンザこじらせたみたいなんだ。色々検査するんだって」「そうですか、有難うございます」それから病院を変え、検査入院することに。22日に御見舞いに行くはずだったのが、今度は東京女子医大に転院となり雲行きが悪い。「秀実さん御見舞いは無理なんですか?」「検査の結果がでるまではね。それより頼みがあるんだ。2月いっぱい寄席も仕事も休みにしてもらいたいんだ」「わかりました、私が連絡します」それからあっちこっちに電話して断りました。平治が師匠と一緒の仕事があったようで、それは平治に連絡してもらい休ませていただく事にしました。