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TBSらんまんラジオ寄席にご来場のお客様に差し上げている
「美酒倶楽部」と言う季刊誌に師匠の思い出を掲載しました
。(平成16年)
我が師匠 桂 文治
師匠が亡くなっただなんて、未だに信じられません。あんなに元気だったんですからねェ〜。今でも電話が掛かってきて、あの高っ調子の声で「もしもし、文治だけど。なんだお前ェは!」なんて小言を言われそうな気がします。そのうち、ひょっこり寄席の楽屋に顔を出すかもしれません。とにかく寄席が好きで大事にしてました。
師匠は小柄で威勢がいい、それに何と言ってもあの大きな目玉をくりくりっと動かす、これが大変な魅力だったのではないでしょうか。ファン層にも幅があり、女子中・高に「かわいい!」なんて言われてたんですよ。西武池袋線沿線で(ラッキーおじさん)に会うと、その日一日が幸せになると言う噂がラジオで紹介され、若者の間に広まっていますが、どうやらその(ラッキーおじさん)がうちの師匠らしいのです。上は着物で、下は変ったずぼん(もんぺ)、帽子をかぶって草履を履いて、変なカバンを持って杖ついてる・・・こんな人、師匠の他に滅多にいませんからね。
時として他の人にはとても考えられない事をします。駅前の放置自転車を、一台一台丁寧に蹴り倒す事がたまにありました。後で元に戻すのが大変。それに駐輪用のチェーンが掛かってないのを見つけちゃあ、まめに掛けて歩きます。チェーンをはずすには100円入れなければいけないのです。まさに駐輪公害に困ってる人達にとって(ラッキーおじさん)かも。
また、もう十年以上前になりますが、ヘルニアの手術をしました。師匠を移動用のベットに寝かせ、手術室に向かう途中、看護士さん達にいきなり大きな声で「いかなればこそ、勘平は〜」ってんで、忠臣蔵の五段目の腹切りのセリフが始まったのです。看護士さん達は皆心配そうな顔、弟子一同「気にしないで下さい。いつもの事ですから」師匠のセリフはその後も続きます。手術は大成功!腹切りの得意な師匠です。
師匠は将棋が好きで、以前はよく、昨年お亡くなりになった柳昇師匠などとやってましたねえ。負けてばかりの柳昇師匠に「柳ちゃんは随分将棋が好きなのに勝てないね〜。昔からよく言うよ
好きこそものの下手なれ」)ってね。ハッハッハ〜」柳昇師匠、しばらく師匠とは口をききませんでした。でも仲はとても良かったんですよ。
嘘、隠し事のない、出来ない師匠ですから、機嫌がいいのか悪いのかすぐにわかりました。なかなか気を許しませんが、一度気に入ると、相手が社長だろうが学生だろうがとことん付き合います。お世話になった若手芸人は随分います。逆にしくじると、とことん叩かれます。筋道を重んじますから、誠意を持っての対応が一番だったようで。
寄席で騒ぐ酔っ払いに「酒飲んで寄席に来ちゃいけねェんだ」と小言を言ってる師匠の顔が、酔って赤ら顔なってる姿が思い浮かびます。師匠の家でお酒をいただいてる時に「爛漫は旨いねェ〜。この間、本社で原酒飲ましてもらったら、高座の途中から酔いがまわってきてふらふらだよ〜。でも客にわからない様に一生懸命演ったね。高座を下りたら(師匠、真っ赤ですよ)だってさ、弱っちゃったよ」にこにこしながら話してくれました。三月十三日は師匠の四十九日です。
合掌